
![]() |

![]() |
今回は、当社の商品をご利用いただいており、たびたび女性誌などにも登場される池下レディースクリニック銀座の院長 池下育子先生を診察が始まる前の早朝に訪問しました。 池下先生は、青森県のご出身。帝京大学医学部をご卒業後、同大学麻酔科学教室助手、国立小児麻酔科を経て、東京都立築地産院産婦人科にご勤務。同産院医長ご就任等を経て、1992年池下レディースクリニック銀座を開業されました。 |
![]() |
〜 池下育子先生 〜 半袖のユニフォームにやさしくて素敵な笑顔。 幅広い層の女性達の憧れ的存在である池下育子先生。 そんな先生にもご自分なりのスタンスを築くまでには、いろいろな葛藤があったようです。 |
| 「先生が婦人科医になられた理由は何でしょうか?」 | |
| 「はじめは麻酔科にいましたが、その頃はまだ女性の医師は少なく、家事との両立はとても難しいもので、母親、妻、医師という3足のわらじを履くことは大変なことでした。麻酔科学教室助手を経て国立小児麻酔科にいた時、赤ちゃん達に『こわくないよ、痛くないよ』と言い聞かせて麻酔をかけて眠らせていましたが、多くの赤ちゃんの訴えかけをみているうちにこの子達は母胎の中でどうしているのだろうか?この子達と人生を共にしてみたい、新生児を診たいと思うようになったんです。当時はまだ周産期学が今ほどは注目されていませんでしたけれど、新生児を診るということは母胎の中にいる時から始まっている、つまり母親を診なければならないと思ったんです。」
さらに、自身を生かせる分野は周産期学なのではないかとも思われたそうで、築地産院の産科麻酔に勤務を始めたちょうどこの時期は、先生ご自身も27〜28歳の人生においてまさに『女まっただ中』だったそうです。 |
|
| 「母親や働く女性等、いろんな患者さんに接しましたが、自分自身も女としていろいろ考える時期だったんです」
と同時にジレンマも感じたそう。 『お産は助産師さんの力を借りたりしながら母親が自力で乗り越えるもの。じゃあ、医者にできることは?技術的に助けるだけでいいの?女の部分はどうなるの?女の部分はおきざりにしてしまうの?女は一体どこに行けばいいの?』 出産は、無事に産んでしまえば「おめでとう」って、それで終わってしまうけれど、出産後母子心中等女性特有のいろんなメンタル的な問題もあったそうです。 |
|
| 「その頃、築地産院で『OL外来』というものをやってみたら、処女や未婚の働く女性や更年期に悩む女性などいろんな女性が受診してきたんです。この時、メンタルな部分に対する医療を忘れていたということに気づかされたんです。」
その頃はまだ女性の医師は少なく、またご自身も思春期のお子様を抱えていらしたこともあって、婦人科クリニックの開業を決めたそうです。 |
|
| 「はじめは、『女性科』と標榜したかったのですが、『産婦人科』としか標榜できなかったんです。今のような『女性外来』というものは、まだなかったんですね。」
とおっしゃる先生は、時代の先端を行き過ぎていらしたのかもしれません。そんな先生に日々の診療の中で心がけていらっしゃることを尋ねました。 |
|
| 「患者さんたちの表情をよくみることです。私は患者さんたちの姉であったり母であったり、そんな存在でありたいと思っています。1日に限られた時間の中で100名近くの患者さんを診察していますので、30分の人もいれば1分で終わって帰っていく人もいます。薬の処方もなく、ただ励ましたり、『がんばろうね、約束だよ』って指きりするだけの患者さんもいらっしゃいます。でも月に1度は必ず報告にたずねてきてくれる、ありがたいなと思っています」
時には、励ましたり、ほめたりするだけではなく、本気で叱ったりすることもあるそう。 |
|
| 「母親や友達にも相談できないようなことで受診してくる人もいます。その人のためを想って言ってあげられるのは私しかいない。そう思うからこそ厳しく叱るんです。」
厳しい表情でそうおっしゃられたあと、「でも後でスタッフの子達がフォローしてくれてるみたいですけどね」とやさしく微笑まれた。 しかし、 「本当は全員にもっと十分に長く時間をとってあげたい。心は痛いけど、他にも患者さんはたくさん待っていらっしゃるし、保険診療の限界もあるんです」と表情を曇らせます。 ところで、当社の商品はどのような患者さんに薦めてくださっているのでしょうか?質問してみました。 |
![]() |
日々の診療には患者さんの立場に立って接するように心がけていらっしゃるそうです。「ストレスや悩みは一人で抱え込まないで、月に1回"銀ブラ"ついでに気軽な気持ちで受診してください」 |
Back Number |
|